スーパーウーマンの生存者バイアス

卒論提出して審査会まで怯える限界大学生です。

今日はバリキャリになる予定の同期との諦めに近い会話について書きたいと思います。

 

私たちは2人とも日本社会のジェンダーギャップおかしいよね、変えていこうねという団体で活動しているのですが、数年以内にはお互い社会人として働き始める予定です。

団体の活動の中で、いろいろな大人、特に社会的地位の高い女性と会う機会が多いのですが、みなさん軒並みスーパーウーマンなのです。

育休中に修士号取っちゃったり、子ども3人育てながら大出世していたり。

自分の時間ありますか?休む時間取れてますか?という感じの方が多く、そうでないと評価されて、高い地位にはつくことができないのかなと思います。

逆に男性にはそういうことを感じないのは私のジェンダーバイアスかもしれませんが、基本的には子育てにがっつり参画している感じの方はおらず、妻ないしほかの誰かに任せて飲み歩いているという印象です。(もちろんネットワーキングも大事な仕事だと思いますが)その実態は家事労働時間などの統計にも表れているわけです。日本はものすごくジェンダー間の家事労働時間のギャップが大きいらしいです。

 

私たちは2人とも社会課題を解決したい、その活動の中でひとかどの人物になりたいという野心を持つ若者です。

その2人が女性であるために感じるのが、仕事も家族もほしいものを手に入れるためには、スーパーウーマンである必要があり、人一倍能力がなければならないし、努力しなければならないという暗めの将来予測です。

これに加えて結婚できるか、パートナーを見つけることができるかなんていう暗雲も立ち込めてきます。

そのような機会を持つことができて、野心を持てるようになったということは日本社会の前進の結果だと思いますが、それでも同じ能力の人間が性別という変数に独立に評価されているかは疑わしい。

出会う人に、生き残れている人の凄みを感じるからこそ私たちの将来予測は暗くなってしまう。その未来の暗さを憂いて諦めてしまう人だっているかもしれない。私も諦めてしまうかもしれない。

時代は変わっているのだからと明るく生きていきたいけれど、きちんと休んでいて、公私ともに充実した、自分にもなれるんじゃないかと思えるロールモデルに出会えたらいいなと思っています。

ジェンダーによってスタート地点が変わらない世の中になりますように。

ではまた。