恋がしたいが難しい

卒業間近の大学生です。この世で女性というジェンダーを割り当てられて生きています。

突然ですが私は2年以上恋人がいません。

卒論の集中期が終わり、息抜きにドラマを見ていたら恋がしたくなってしまいました。

 

恋がしたい私ですが、よく言われるのは、以下の発言。

君と同世代だったら惹かれていると思う。

多くは年上の既婚者男性からです。50代から70代の年配の方から言われたことありますし、30代の妻子持ちから言われたこともあります。

この発言から読み取れる意図は...

今僕は君に惹かれています。妻がいなかったら口説いているでしょう。

ということなんだと思います。いや...なんなの...

それを伝えてくるってどういうことなんでしょうかね?あなたに興味を持たれて喜ぶとでも思っているのですか?

そして当の付き合う可能性がまだある同世代の男性から言われるのは以下です。

だって俺がいなくても大丈夫そうじゃん。つかこわい。

私の今のところの結論は、日本の多くの若い男は自分の手のひらで転がせるような、依存してくれるような、自分がいないと生きていけないような女の子を好むということです。特に付き合う場合には。結婚するとなると違うのでしょう。

大学に行っていて、誰かがいないと生きていけない、人生の何事も決められない女がいると思っているとしたら女性を見くびりすぎだと思います。
見つけたとしたら、それは多分彼氏を手に入れるための演技の可能性が高いでしょう。

そんな女性を好むということは、自分が恋人に対して優位な立場でなければならないと無意識に感じる有害な男性性が表れているような気がします。

こんなところにもジェンダーの要素が入り込んでいて。

自分が御しがたいような女性に惹かれ、自分の弱さを見せられるようになるためにはそれなりの人生経験が必要ということなのでしょう。

 

長期間でなくてもいいから楽しめる恋がしたいです。

御しやすい女性を演じてみるのも一つの解ですよね。でもそれをすると現実の解像度がさらに上がってつらくなってしまうかも。

この世の中で、すべての人の恋が立場とか優劣とか関係なく、寄り添いあえるものになりますように。

スーパーウーマンの生存者バイアス

卒論提出して審査会まで怯える限界大学生です。

今日はバリキャリになる予定の同期との諦めに近い会話について書きたいと思います。

 

私たちは2人とも日本社会のジェンダーギャップおかしいよね、変えていこうねという団体で活動しているのですが、数年以内にはお互い社会人として働き始める予定です。

団体の活動の中で、いろいろな大人、特に社会的地位の高い女性と会う機会が多いのですが、みなさん軒並みスーパーウーマンなのです。

育休中に修士号取っちゃったり、子ども3人育てながら大出世していたり。

自分の時間ありますか?休む時間取れてますか?という感じの方が多く、そうでないと評価されて、高い地位にはつくことができないのかなと思います。

逆に男性にはそういうことを感じないのは私のジェンダーバイアスかもしれませんが、基本的には子育てにがっつり参画している感じの方はおらず、妻ないしほかの誰かに任せて飲み歩いているという印象です。(もちろんネットワーキングも大事な仕事だと思いますが)その実態は家事労働時間などの統計にも表れているわけです。日本はものすごくジェンダー間の家事労働時間のギャップが大きいらしいです。

 

私たちは2人とも社会課題を解決したい、その活動の中でひとかどの人物になりたいという野心を持つ若者です。

その2人が女性であるために感じるのが、仕事も家族もほしいものを手に入れるためには、スーパーウーマンである必要があり、人一倍能力がなければならないし、努力しなければならないという暗めの将来予測です。

これに加えて結婚できるか、パートナーを見つけることができるかなんていう暗雲も立ち込めてきます。

そのような機会を持つことができて、野心を持てるようになったということは日本社会の前進の結果だと思いますが、それでも同じ能力の人間が性別という変数に独立に評価されているかは疑わしい。

出会う人に、生き残れている人の凄みを感じるからこそ私たちの将来予測は暗くなってしまう。その未来の暗さを憂いて諦めてしまう人だっているかもしれない。私も諦めてしまうかもしれない。

時代は変わっているのだからと明るく生きていきたいけれど、きちんと休んでいて、公私ともに充実した、自分にもなれるんじゃないかと思えるロールモデルに出会えたらいいなと思っています。

ジェンダーによってスタート地点が変わらない世の中になりますように。

ではまた。

ワークライフバランスのジェネレーションギャップ

ついに指導教員に卒論の第1稿を投げつけ、ざっと読んで問題ないとのコメントをいただき、卒業の兆しが見えてきた限界大学生です。

今日はハラスメントとか、ワークライフバランスとか、世代間でギャップがあるなあということについてつらつらと書きたいと思います。

 

卒論を書くにあたって、最初は9時から17時で健全にフルタイムでやろうとしたのですが、気づけば夜が遅くなって、朝が遅くなって...

昨日も第1稿を送り付けたのは18時前。それに対して先生は22:40に連絡をくださいました。ちなみに連絡手段は既読がわかるチャットです。

締め切りが迫るこちらの身からしたらありがたいのかもしれませんが、22時過ぎて、お風呂に入ってまったりしようとしているところに来てしまい、返信をしなければと思うのってストレスですよね。

以前は22時以降は返信しないというマイルールでやっていましたが、こう迫ってくると守りづらい...

となると権力を持つ指導教員側が線引きして、遠慮してくれるのが理想ですが、そうはいかないわけで...これはハラスメントではないと思いますが、このような自分の影響力に無自覚なところからハラスメントに発展するのではないかと思います。

ハラスメントとはよく言いますが、結局何がハラスメントで何が耐えるべき指導なのか、指導する側もされる側もわからなくなっているような気がします。

指導教員からしてみれば、「自分は上に詰められながら、昼夜関わらず研究に必死に取り組んだおかげで今があり、今の学生にも同じことをしてあげるのが愛情だ、愛情を注いだにもかかわらず、ハラスメントと言われて、恩を仇で返されるなんてけしからん」って感じみたいですが、その過程ではメンタル壊して夢破れている人が何人もいて、ハラスメントにたまたま耐えられた人たちが生き残っているわけですよね。

今の若い人は弱いといいますが、休む時は休み、働く時は働く権利を主張しているだけなのではないかとも思うわけです。

そしてその昼夜関わらず、可処分時間をすべて研究なり仕事なりに費やすことができる背景には、経済的にも物理的にもケアをしてくれる、家事をしてくれる誰かがいたからなのではないかと思うわけです。

今の30代の方々でポストに就かれ始めている先生方は残念ながら男性ばかりですが、前時代的に全可処分時間を研究しているわけではなく、きちんと子育てに参画したり、自分の権力に自覚的に行動したり、かなり今の学生に近い考え方を持っているようにも感じます。

その分年齢が上の先生方との軋轢とかもありそうですが...

大学という組織の中も少しずつ世代交代して浄化されていくのかなと少し希望が持てています。ジェンダーに関してはあまり希望を持てませんが...

 

結論が散逸になってしまったので少しまとまったら追記したいと思います。

ではまた。

 

カジュアルなセクシズムの難しさ

どうも、理系のハラスメントで評判の悪い研究室に所属の限界大学生です。

私はこの家父長制の世の中で非常にアンラッキーなことに女性というジェンダーを割り当てられて生きています。

理系で女子なんてもうそれだけで少ないわけで、少ないだけで大変なことが意外とあるという話を書いてみたいと思います。

女子が少ないと...

まず、目立ちます。

特に私は背が高いのでもっと目立ちます。

3人以上女子が連れ立っていたらそれだけでなんかレアなことが起こってる感が出ます。男子が連れ立っているのは当たり前なのにです。

視線を浴びていることを意識しながら生活するのってあまり気持ちのいいことではないですよね。

よく言われるセクハラもたまにあります。

飲みの席なんかでは特に。周りの人も介入してくれる人がいたらいいんですが、大抵は唖然とするか、気づかないか。

女子がもう一人いるだけで、空気が変わりやすいので人数って本当に大事だなといつも思います。

流す方法なんて身につけたくなかったんですが、もう笑顔で「アウトー!」とか言って傷つかないふりをするようになってしまいました。

一番厄介なのは...

カジュアルなセクシズムです。何気ない性差別的な発言と訳されるようです。

これが私は一番つらいです。

私が教授から実際に言われた発言は、こんな感じ。

自分の分を入れるついでにみんなに入れたら「君の入れるコーヒーはおいしいね」

ミーティング中にメモをしていて「やっぱり君は女子学生だから、真面目で字も綺麗だね」

何かの運搬をしていて、他の男子学生に対して「ほら女性が持ってるんだから君もやりなさい」

なんか全部絶妙に嫌じゃないですか???

その嫌さが説明できない感じがつらいんです。

普段は建前上は同じ学生として、同じ人間として生きているはずなのに、意図しないところでジェンダーを持ち出される違和感。

そしてそれが嫌だけど、嫌といえない、言ってもわかってもらえない無力感。

そんなものを頻繁に感じながら生きているわけで。

でも男性だから、女性だから、という区分けがまだまだ強い日本では、何が悪いの?って感じなのもわかるんです。これを性差別っていうのかと反論が今にも飛んできそう。

でも男性だから女性だからで扱いを変えることがエスカレートした先にシリアスな性差別があるんだと思うんです。

大学なんて、基本はジェンダー関係なく勉強できるはずのところなので、教授の方々も、こういう発言にもやつく学生がいることを知って、意識を変えていってほしいものです。

 

男性でも同じようなことでもやつく人いるんじゃないでしょうか。甲斐性とか、いまだによく聞きますよね。

同じようにおかしいと思うので、ジェンダー関係なく、つながって「おかしい、嫌だ」と言っていけたらいいなと思います。

ではまた。

Slackのキャッチアップが便利という話

Slackの通知を見るのって大変

学生っていろいろなSlackスペースに入ることが多いのです

そこで面倒なのがそれぞれのスペースの、それぞれのチャンネルの通知を確認すること!

学生団体だけじゃないかもしれませんが、#timesという文化があって、日記とか進捗とかタスクとかをツイートみたいに個人がつぶやくそれぞれのチャンネルがあったりするわけです

チームビルディングにはそういう雑多な情報共有がよい効果を発揮することもあるわけですが、あまり熱意がないのに情報につられてずるずると入ったスペースだったりすると、とても面倒です

プロダクトマネージャーという仕事に少し関心があるので、今回はそんな私の悩みを華麗に解決してくれた新規機能について、ちょっとまとめてみようかと思います

Slackに新規実装されたキャッチアップ

以前も私は重要な連絡とか、自分へのメンションとかを既読にできたり、リマインダーを設定できたり、Slackって本当にかゆいところに手が届くなあと思っていたんです。

LINEにもあったらいいのにと思うことも多々ありました。

それでも、会話の交通整理のためにチャンネルが分かれているがために、通知の確認が面倒…!しかも読み込みにもちょっと時間がかかる…!ということは感じていました

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そこで最近実装されたのが、キャッチアップという機能です

未読メッセージをカードにまとめておいてくれて、右左にスワイプするだけで未読と既読に分けられるんです!

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これがすこぶる便利です

プロダクトマネージャーさん頑張ったんだろうなと推察します

(書いててマッチングアプリに着想を得たのかなとか思いましたが…(^◇^;))

 

お仕事で使われている方もこれ便利!と思った方いるんじゃないでしょうか

ずいぶん前に有料化してしまいましたが、これでまた付加価値が上がりそうですね

 

notionカレンダーもリリースされたみたいなのでそちらも見てみたいと思ってます

ではまた。

 

 

 

タスクを後回しにすること=procrastination

私は現在卒論執筆真っ最中の大学生なわけですが、パソコンに向かうものの、期限の近さの割に進みが遅いのです。

気づいたらマツケンサンバをループで見ていたりするんです。

誰しもやらなければならないことを前にしてそういう時あると思うのですが。試験前の掃除とかが有名ですよね。

私は昔から英語が好きで、TikTokアルゴリズムマツケンサンバとか日本のコンテンツも回ってくるものの、3割もいかず、あとは英語のGen Zの内容が多いのです

そこでよく言われているのが、どうやってこの大事なタスクの後回し=procrastinationと付き合っていくかというトピックです。

いくつかクリップを見て思うことがあったので、書いておきたいと思います。

 

後回しにしているとき、それはタイムマネジメントの問題かと思うわけですが、そうではなくて、そのタスクを終わらせようとしたときに、自分が感じる負の感情から逃げているそうなんです。

今の私だったら卒業研究を半年も一生懸命やってきたのに、こんなものしか書けないのか、自分の手法はただのまやかしで、研究とは呼べないんじゃないか、発表するときにはどれだけ批判されるんだろうかとかそういう思いです。

私はテストも、どうせがんばったって無理なんだから、数学得意な男子たちには負けるんだからという感情から逃げて、時間をかけて勉強することをせず、成績取れないみたいなことばっかりでした。

そこで大切なのが、まず始めること。これは私はできています。日曜日も関係なく朝からPCに向かっているわけで。

でも感情が苦しくて、心臓が痛くて、TikTokに逃げてしまう。

それなら、自分が感じている感情をこうやって整理して、その感情が起こらないようにしながらタスクに向かうというのが対処法のようです。

今思いつくのはあとちょっとで終わるんだという思いで乗り切ること、あとは卒論なんてごみクオリティでも出せば努力賞としての学位がもらえると思うことでしょうか。

ハラスメントが横行する研究室から抜け出すことが最優先、つまりとにかく終わらせて出してしまうことが最優先なわけです。

それでもいい卒論が書きたかったという自分の思いは消えないわけで、その気持ちを今処理しようとしてはいけないということですかね。

 

とりとめがないですが、完璧主義者のみなさんにとってもヒントになるような話ができていたらうれしいですね。

とりあえずやること。

あと少し、頑張りたいと思います。

 

ではまた。

 

 

 

ブログでつながる可能性

はてなブログは割と見られやすいとは聞いていたけど、数時間で10PVも来ていてびっくり。

読んでくださった方、スターをくださった方、ありがとうございます。

 

ちなみにブログというアイデアは、実は母に勧めていたアイデアなのです。説得していたら私の頭の中にもなんだか残っていたようで、ふと思いつきで始めてしまいました。

始めるのは超簡単で、この世の中、だれもにとって情報発信のハードルが低いのはよいことだなと思いました。

なぜ母にやったら?と言っているかという話をまたつらつらと書いてみようと思います。

私は九州の片田舎出身で、今は東京で大学生をやらせてもらっています。

それを可能にしてくれているのはひとえに母のおかげなのです。(もちろん父のおかげでもありますが、今日は母をハイライトします)

母も地方出身ですが、東京で教育を受けました。

身内贔屓にはなりますが、とてつもなく能力の高い人です。近頃流行りのMBTIはENTJ。指揮官というやつです。

これがまた、なんとも無敵な性格なのです。私はうじうじしがちなので、うらやましい限りです。

ですが、そんな能力の高い人も家父長制には勝てないようです。

社会をまだよく知らない私の想像の範囲にはなりますが、世代的に、全くジェンダー平等が達成されない時代に社会人になり、大人としての生活を歩んできた母は、世の中のままならなさに呆れ、諦め、憤り、そしてそれらの感情の行き場を模索しているような気がするのです。

そして私は、そんな思いを抱える女性たちはたくさんいるのではないかと思うのです。

私の世代は、母より少しだけ進んだジェンダー観の中で、私たちが問題と思うことを声にしていくことができます。

でも母の世代にも、この情報社会を生かして、つながって、声を上げてほしい。

やる気になってくれたら母子書簡なんてやってみたいなと思ったり。

こんなつらつらでもいいんじゃない?と言ってあげられたらいいなと思っています。

私も書くの楽しくなってきているし。

 

コメントとかもお待ちしてます。

ではまた。